
(屋根部、通り全体にムラ有り)
→母屋高さ調整、及び野垂木、野地板を取り替え。

(瓦老朽化 割れ浮き等多数有り)
→飛鳥瓦二号(本葺瓦)に新調。

(破風板及び懸魚、腐食及び傷んだ箇所有り)
→破風板及び懸魚、を取り替え。
10月6日、工程表の通り、すべての木工事・瓦葺きが完了し、その全容が拝見できるようになりました。
棟瓦(むねがわら)、鬼瓦(おにがわら)、隅蓋(すみぶた)すべてに職人の技が輝いています。

これより鐘本体の修復と補修行われ、間もなく足場が外されます。
この美しいお屋根を間近にみることができるのも残りわずかとなりました。
それはそれで寂しさも感じるこの頃です。

いよいよ瓦葺きが始まりました。今回の瓦も山門や本堂と同じように、奈良県の石野瓦工業さまへお願いをさせていただき、軽量化と耐久性を兼ね備えた飛鳥瓦で施行いただくこととなりました。
土を使わない工法をとることで、屋根の重さは約40%の軽量化が可能となるそうです。

飛鳥瓦の名前の由来は、日本の瓦の歴史に由来するようで、1000年もの長きにわたってお屋根を護ってくれることを願い命名されたようです。
お屋根の形が見えてきました。
工事前の打合せのなかで工事業者さまより、従来のお屋根の大きさは柱は梁の長さに比べて少し小さいのでは、とのご指摘がありました。
今回の工事では、柱や梁は再利用するため長さに変更はありませんが、お屋根は高さや破風板が少し大きくなるようです。


破風板・・・、棟・・・、化粧野地・・・、野母屋・・・、茅負・・・・・・
職人さんを見るたびに、「あれの名前なんでしたっけ?」と聞く住職。覚えられません(笑)
今回の工事の目的はお屋根の修復です。しかしながら、そこにたどり着くまでに、基礎部分の修復や耐震補強に手間をかけていただきました。
お盆期間も法要の時間以外は工事を続けてくださり、いよいよお屋根の木工事が進んでいます。
定専坊の本堂、山門、そして今回修復いただいている鐘楼堂は、可能な限り古い木材を活用する工法がとられています。ですので、新しい木材も古色塗加工されているのです。屋根に使われる木材はすべて新しいものとなるのですが、完成した際には、古い柱などに馴染んだ仕上がりになるとのこと。

古色塗されていない白い箇所にはなんやら大工さんのメモがたくさん!?何を表しているのかはわかりませんが、素晴らしい技術をもって丁寧にお仕事くださっていることが伺えます。感謝感謝です。
お盆の時期には多くの方が参拝くださいました。
参拝者:「これ、いつ工事おわりまんの?」 ←笑顔で!めっちゃ楽しみ~っという雰囲気で!
大阪弁全開でご質問くださいます(笑)※大阪弁を文字にすると怒ってるみたいですね(;^_^A
住職:「10月半ばをめざして工事いただいています」
参拝者:「そら楽しみや! 出来たらまたしっかり見せてもらいまっさ!」
普通にあるものが、何らかの変化があると注目され、普通でないことに気がつく。これもまた有り難いことですね。

さて、工事は耐震補強の工程に入っています。
いつ来るかわからない地震や台風に備えて、本工事では方杖(ほうずえ)の強化と、金物補強を併用して補強する工法がとられています。
安心して参拝いただけること。住職として嬉しく思います。
連日猛暑のなか、大工さんは黙々と作業をしてくださっています。
職人さんの姿からは何か学ぶことが多い気がします。
さて、これだけ大きな鐘楼堂ですが、地面に着いているのはたったの4本の柱。
長年のダメージもあり、柱の下は腐ってしまっている箇所も見られました。そこで、接ぎ木や鉛板を使った修復がなされています。

また、柱は通常4本が同じ角度になるよう設計されていますが、工事開始の段階では1本が垂直になるほど、傾き(大工さんは捻じれと表現)があったようです。
それを「立ち起こし作業」で元の位置へと戻されました。

これでまた次の100年へ。木造建築の凄さを感じます。
(①からのつづき)
結局、石山合戦には約10年にも渡る長い月日を費やすこととなりますが、信長はこれを力で抑え込むことはできず「講和」によって終結します。しかし直後、護衛が手薄になった隙に信長によって火が放たれ、石山本願寺は三日三晩燃え続けました。
火が広がる最中に境内地にあった梵鐘が運び出され、現在の大川から淀川を遡上して定専坊の寺内にこれが保護されました。
約450年前の出来事です。
その運び出された際の詳細は定かではありますせんが、人力も運搬用具も乏しいなか、おそらく転がしながら運んだものと考えられています。その痕跡として、釣鐘の表面上部に多数並んでいるいぼ状の小突起、乳の間(ちのま)が欠けてしまっています。その他の先っぽも地面にすれた跡が残っています。
今回の修復事業ではあえてこの乳の間(ちのま)は補修せず、その歴史を感じるものとして、そのままの状態を維持することとしました。修復後に参拝された際にはぜひご覧になってください。


【参考】この小突起は『梵鐘』に必ずと言って良いほど装飾されており、その多くは、煩悩の数と同じくが108個並べられています。
定専坊のシンボルとの言える『石山本願寺梵鐘』。その歴史は安土・桃山時代にまでさかのぼります。天文2(1533)年に現在の大阪城の地に石山本願寺が建立され、大阪商業の中心地として繁栄を極めました。しかし時の権力者織田信長によって石山合戦[元亀元(1570)年~天正8(1580)年]が起こります。信長による幾度にも渡る奇襲に対し、石山本願寺は梵鐘を激しく鳴らして寺内町民にそれを知らせました。このエピソードは「はやづきのかね」として今に伝えられています。
(つづく)
諸々の手続きが完了し、令和7年7月16日(水)から工事が開始されることが決まりました。
16日(水)には足場の建設が始まりますので、工事前の姿をみることが出来るのはあとわずか。工事の内容は随時ご報告させていただきますが、今回の工事では今の面影を残しながら、耐震性を担保しつつ、永く共に歩んでいくことのできる内容としております。。
工事期間は、10月の半ばまでを予定しています。15日(火)には定例をお勤めしますので、工事前最後の姿もご覧にいらしてください。

鐘楼堂の修復に向け、さまざまな調査が開始されています。
5月下旬、瓦の葺き替えを担当くださる業者さまから「住職、お時間を頂戴できますでしょうか?」
私 :大丈夫ですがお電話でなく対面がよろしいでしょうか?
業者様:ちょっと電話では・・・
私 :どうぞお越しください!

これわかりますか?
定専坊の鐘楼堂には鬼瓦が6カ所あるのですが、なんと模様がすべて違うようです。
業者さまも驚かれたようで、写真とともにお越しいただくこととなりました。
約200年の間に修復、寺院の移転などにより、その都度、無駄の出ないよう対応くださった先人たち智慧そのものです。
一番古い鬼瓦には天保五年の刻印が。西暦1834年。「天保の飢饉」としても知られるその時代に、お寺を大切にしてくれた方々の思いに馳せています。
謹啓 慈光照護のもと皆さまにおかれましては、諸祖方の願いをご相続のこととお慶び申し上げます。平素より定専坊の諸活動にご理解とご協力を賜りありがとうございます。
さて、令和6年9月の頃、長雨の後に鐘楼堂の瓦屋根とそれを支える木材の一部が落下する事案が生じました。この定専坊のシンボルとも言える鐘楼堂は、約500年前の『梵鐘』を約130年前の『鐘楼堂』が支えてくれていますので、ここ数年の地震や台風が続いた状況を考えると致し方ありません。
その後、専門業者さまに調査を依頼し状況の把握に努めました。結果「柱や梁などは現在のものを修復利用できるが、屋根については補修ができず瓦の葺き替えが必要」との診断結果となりました。
ご門徒さまを中心に相談の結果、下記の通り『定専坊鐘楼堂修復事業』を実施することと致しましたのでお知らせします。なお、工事期間は参拝等にご不便をおかけしますが、ご理解の程よろしくお願い致します。
定専坊 住職 山本裕円 合掌
〇 定専坊鐘楼堂修復事業
実施期間:令和7年8月18日~令和7年10年15月(予定)
留意事項:
・工事期間中も参拝はこれまで通り可能です。
・工事期間中も本堂での法事等はお勤めいただけます。
・工事期間中は参拝者用駐車場の利用が出来ない期間がありますが、境内地駐車場の利用は可能ですので、希望される場合は事前にご連絡ください。
※工事の概要や、進捗状況については随時更新してまいります。
「定専坊本堂 令和大修復事業」vol.20 ~最終回「感謝と報謝」~
振り返ると、平成30(2018)年6月18日に発生した大阪北部地震、同年9月4日に大阪を直撃した台風21号により大きなダメージを負った定専坊の本堂。
その直後から修復事業について本格的に検討されてまいりました。一時はコロナ禍の影響により計画中止も話し合われるなど紆余曲折もありました。
しかしながら「仏様を大切にしたい。次の世代にこのお寺を残したい。」との揺るぎない皆々様の想いから本日に至っています。感謝しかありません。
本事業を請負ってくださった有限会社錦天一建設様、瓦の葺き替えを担当くださった石野瓦工業株式会社様をはじめ、設計や足場、解体や左官、建具に仏具と、あらゆる場面にご尽力をくださった職人の皆様にもこの場をお借りして感謝いたします。
浄土真宗寺院の本堂には特徴があります。
それは外陣(参拝者が座るところ)がとても広く造られているということ。
日本古来のお寺にはこのようなスペースはありません。奈良の大仏様でおなじみの東大寺を想像してみてください。お堂の真ん中に御本尊がお座りになり、その周りを取り囲むように廊下が設けられています。これは僧侶が行に励むことを主たる目的として設計されているからです。
一方、浄土真宗の本堂は内陣(ご本尊がおられるところ)と外陣がほぼ同じ大きさです。これは、仏さまの願いを「キク」ことを主たる目的としているからです。
親鸞聖人は「聴聞(ちょうもん)」いう行為を大切になさいました。また「聴く」と「聞く」をつかい分けられ、
「聴く」は出かけていって聞く
「聞く」は聴いて知らされたことが来て心に受ける
と解釈され、「聴聞」を「ユルサレテキク シンジテキク」と示されています。
さらに「仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり」とお示しになって「阿弥陀様の本願を聞きなさい、そして疑いの心を捨てなさい、それが聴聞をする姿ですよ」と仰っています。
阿弥陀様の本願を仰ぎ、おかげさまの心をもって日々の生活に向き合い、ご先祖から脈々と受け継がれた本堂に込められた想いを大切にお念仏することが、浄土真宗のみ教えを拠りどころとする者の報謝の姿と言えるのではないでしょうか。
これからも定専坊の本堂は、気軽にお越しいただける「聴聞の場」として受け継いでまいります。
本事業にお力添えを頂きましたすべての方々に改めて感謝を申し上げます。
ありがとうございました。


(令和4年8月15日 盂蘭盆会の様子)
「定専坊本堂 令和大修復事業」は予定していたすべての工程が完了し、御本尊である阿弥陀如来さまが元の位置にお戻りになりました。
遷座法要を皆さまと勤修することも考えたのですが、コロナ禍の影響を考慮して寺族のもので内勤めとさせていただきました。
すでにご案内の通り、8月15日には工事後初となる『盂蘭盆会法要・定専坊総永代経法要』を真新しい本堂で勤修いたします。
また、11月12日には本事業の『落成慶讃法要』などを皆さまと勤めさせていただく予定です(※詳細は後日案内)。
本堂は美しくすることが目的ではありません。そこに集い、皆さまとともにお念仏を慶び称える場所として、広く活用いただくことが大切です。
皆さまもどうか定専坊の本堂をお気軽にご利用ください。

大屋根の工事と前回ご紹介した向拝唐戸の取り付けが完了し、本堂の木工事はすべて終了いたしました。
見上げるとそこには美しい大屋根が静かに佇んでいます。
再利用された唐戸も昔の面影をしっかり残しながら、スムーズに動く吊戸になって本堂を守ってくれています。 
さて、昨年の11月から始まった本事業の報告も残り2回(ちょうどvol.20)で終了したいと思います。
振り返ると長ったような、終わりが見えると寂しいような。
何はともあれここまで大きな事故もなくこれたことに安堵しています。
定専坊の本堂で以前から利用されていた向拝唐戸(雨戸)。江戸時代のものと考えられ、定専坊の門徒さまの間でも大切にされてきました。
事業の計画を進めるにあたり「この唐戸は残してほしいわ~」とのお声があり、大工さんに相談。「それなら再利用する方法考えます!」とのお返事をいただき実現するに至りました。
(お掃除で大切に拭き掃除いただいた以前の唐戸)

(欅材が利用され江戸時代以前のもの)

(良い雰囲気ですね)
今回の事業では欅で組まれた唐戸を一度分解し、つり戸に修復。これからも大切なご本堂を護ってくれることとなりました。
(吊り戸に生まれ変わりました)
※色は今から合わせていくようです。
本事業もいよいよ大詰めです。令和3年11月から始まった工事も9カ月が経とうとしています。
7月22日には足場が外され、久しぶりに大屋根の姿を見ることができました。なんとも美しくしばらく見惚れていました。
残る作業は建具の取り付けとなります。終わりが見えると少し寂しい感じもいたします。不思議ですね。
参拝者用のトイレはこれまで境内地から土足で利用できるよう設計されていましたが、古くなっていたこともあり、今回の事業にあわせて室内からバリアフリーで利用いただけるように改修いただきました。
近年、高齢化もありお寺にお越し下さる方の中にも脚に不自由を抱えている方も少なくありません。加えて、ご法座やお習字教室にお越しくださる皆さまにも清潔なトイレを利用いただきたいと考えていました。

行って良かったと思えるお寺であるために、皆さまと力を合わせて前進できたことを嬉しく思います。
今年の梅雨は記録的な短さだったとニュースを賑わしています。
そんななか瓦工事も終盤を迎えました。

瓦工事を担当いただいている職人さんに「棟が終わったらもう終わりが見えてきましたね」と話しかけると・・・
そうですね・・・「あとは大屋根の降棟(くだりむね)が4か所と隅棟(すみむね)が4か所、入母屋(いりもや)にも降棟(くだりむね)4か所あるんでね~」
とのことでした(笑)
本当に暑い中での作業に感謝してもしきれません。
皆さんはお寺の本堂と言ったらどんなものをイメージされますか?
お寺勾配のある高い屋根。そこには大きな鬼瓦となんだか不思議な飾りつけ。。。
このセットを見るとお寺らしさを感じる方も多いのではないでしょうか。
(鬼瓦)
※取り付け前の写真撮れなかった、、、
(懸魚)
(すべての鬼瓦に家紋の菊水)
※小さいサイズのものがまだありました。
ちなみに、なぜこのようなデザインなのか・・・
日本の伝統家屋のシンボルとして今に伝わる鬼瓦は「魔除け」。懸魚は水に強い魚の飾りを屋根に取り付けることで「火除け」の意味が。
古い蔵などの妻壁に「水」と書かれているのを目にしたことがありますが、あれと同じ意味が込められているのですね。
梅雨入りも間近ということもあり、瓦葺きの作業も急ピッチで行われています。
写真3枚目の半分だけ作業が終わった大屋根というのは珍しい光景ですね(笑)。なんか不思議な感じがします。

大屋根の修復は50年~100年に一度と言われています。
こんな光景二度と見ることはないのでしょう( ^ω^)・・・

(一部分母屋の継手の位置に不具合有り)
→母屋下部に補強材を取り付け。

(小屋裏、束部分、貫、筋交、破損有り)
→貫、筋交を新調。

(小屋裏、桁梁に腐食有り)
→腐材の取り替え。