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まあ、どこにおってもお慈悲の中だからのう ~法語カレンダーより~

みなさんのご自宅にもあるかもしれませんが、毎年、真宗教団連合が発行くださっている「法語カレンダー」。
その8月のお言葉に定専坊前住職、山本佛骨の言葉が紹介されています。

「まあ、どこにおってもお慈悲の中だからのう」

山本佛骨は、平成3年2月6日に往生する少し前、年齢や病状を考慮してホスピス病棟に移りました。
そこへ梯實圓先生(平成26年5月7日ご往生)がお見舞いに来てくださった時のことです。

佛骨 :「わたしはいつまでここにいるのかのう」
梯先生:「お楽になられるまで、もうしばらく御辛抱ください」
佛骨 :「まあ、どこにおってもお慈悲の中だからのう」
梯先生:「そうですね」

なんとも不思議な会話です。

いまでは直接お聞きすることはできませんが、梯先生の「お楽になられるまで・・・」の「楽」の中には病状の回復の意味だけを込めておっしゃったのでしょうか。それとも本当の意味での「樂」を得るためには、「阿弥陀さまにお任せするしかありませんね」との意味を込められたのか。そんなことをお伺いしたいものです。

いずれにせよ、私の機嫌がよい時もわるい時も、健康な時もそうでない時も、若い時も往生を間近に控えている時も、どのような状況でも阿弥陀さまのお慈悲は変わらず届き続けている。そんな不思議の本願力をお聴聞し続けたお2人の会話なのでしょう。

 

「あっ、おじいちゃんおった!」相愛大学の正門にはいつも法語が紹介されています^。^